株式会社生井電気 社歴



先代社長、生井政吉と2歳の現社長

 戦後の混乱もようやく収まり始めた頃、それまでの勤め先、『関東配電』を退職。これまでに学んできた技術を生かして、これからの平和な時代を生きて行こうと一念発起、独立しました。
 中古住宅を購入し、八千代町平塚に『生井電気商会』を創業しました。


昭和34年 店舗の建替え

  それから約10年が過ぎ、世の中には、「テレビ放送」が始まっていて、先代社長は、これに着目しました。
「ラジオ」とは比較にならない情報量。これは、これからの「トレンド」になるのに違いない、と考えたのです。
そこで、昭和33年、まずは、その技術習得をと、松下電器の「大阪テレビ学校」に技術研修に行きました。
『テレビ(白黒)・冷蔵庫・洗濯機』が「三種の神器」と言われた、そんな時代でした。
 昭和34年には、念願だった「店舗」の建替えを行いました。「ナショナル」というなつかしい文字が見えます。「もはや、戦後ではない」のとおり、一般世間の生活も、だんだんと豊かになって行き、昭和39年には、東京オリンピック開催に伴い、カラーテレビが爆発的に売れることになりました。この頃には、「三種の神器」も「車・クーラー・カラーテレビ」に様変わりしていました。
「3C時代」への突入、だったのです。
 写真は、昭和34年に建替えた店舗です。
創業当時と比較すると、まさに時代の移り変わりが見て取れます。


昭和49年 店舗の改築

 昭和49年に、15年ぶりの店舗改築を行いました。
この頃になると、「家電製品の大型店舗の進出」がおき始めていました。そこで、「工事部」を設立して、同業者でもあった販売店の工事部門を請け負うようになりました。
写真は、その頃の夏祭りの時に撮影したものです。


東京電力との結びつき

 昭和40年代、東京電力から、その出先機関の様な働きをする「サービス店」の役割を担ってもらえないか、と問い合わせがありました。八千代・関城・真壁等の業者を各一社程度選んでお願いしている、ということでした。これまでの実績を認められたことになりますので受諾し、現在に至っております。
写真の看板は、そういう経緯があって掲げられることになりました。


昭和59年 工事部事務所新築


記念のテレホン・カード

昭和55年には、「有限会社」生井電気商会、として法人化をしました。
昭和59年には、現在の「水口231」に「工事部事務所」を新築し、同時に「平塚3502」から本社を移転しました。
平成5年 株式会社生井電気に商号変更。
代表取締役は、先代社長、生井政吉から生井正美に交替しました。
工事部事務所を新築した時、「テレホン・カード」を作って皆様にお配りしました。今の携帯電話のご時世では、「テレカ」と聞いても意味不明な若い人が多くなったと思いますが、当時は、「テレカ」全盛、だったのです


平成14年 現在の社屋に建替え

平成14年、創業50周年を記念して、現在の社屋に建替えをしました。